いたたまれなさ

昔から、いたたまれない状況のなかに置かれることがどうにも苦手だ。いたたまれなさにも色々ある。例えば、誰かが叱られているのを見てしまったとき。とくにその人が近しい間柄であるほど心がざわついてしょうがなくなる。運の良いことにボクはいままで遭遇したことがないが、親が叱られている場面なんて想像するだけで、ケツメドのしわを一本一本羽毛のさきっちょでなぞられているような感じを覚える。

それから、まったく知らない人と二人きりで時間を共有しなければならないとき。話す必然性が皆無なら問題は無いのだけれど、中途半端にお互い知り合ってしまっている場合が多いからタチが悪い。このパターンのいたたまれなさに震えた一番古い思い出は、小学生の頃。いまでも鮮明に覚えている、冬の始め、近所に住むBくんの家に遊びに行ったときだった。

その日はずいぶん寒かったので外で遊ばずに、居間のテレビにスーファミを繋いで弟切草をプレイしていた。ピンクのしおりというちょっとHなストーリーが読める夢のアイテムがあると噂に聞いたボクとBくんは、鼻息荒くして必死に選択肢を選び続けていた。小一時間ほど経って、目を血走らせながら画面を見つめるボクらの背後でがちゃりと玄関のドアが開く音がした。

振り返るとアロハシャツにパンパーでサングラスをかけた男が立っていた。沖縄から直送されてきたのであろうその男は、Bくんのお父さんだった。いま思えば明らかにカタギの人ではなかったのだけれど、当時のボクにとっては、冬なのにアロハなおっさんよりも画面のなかの半魚人の方がよっぽど怖かった。

居間に入ってきてからしばらくは煙草を吸ったり、冷蔵庫を開け閉めしたり、猫のしっぽをつかんで逆さ吊りにしていたBくんのお父さんだったが、不意にBくんに尋ねた。

「お母さんは?」

「Fちゃんのお母さんのとこ行った」

「ふうん…じゃあ、ちょっと帰りに5万下ろしてこいって言ってきて」

「え、いま?」

「うん」

「ごめんだけど、ひとりで進めといて」と言うとBくんはすぐに家を出て行き、そこには部屋とアロハシャツとコントローラーを握るボクだけが取り残された。

 

(………え、これ帰ったほうがいいの?)

 

視線に質問を乗せて投げかけるという高等技術の心得があったボクは、そんな意味を込めてBくんのお父さんをちらと見た。目が合った。続いて何かしらの言葉を期待していたが、こちらを見ながら無言でタバコを吸うばかりで、しばらく気まずい沈黙が流れる。

「ニャー」

さっきまで逆さ吊りにされていた猫が助けを求めるような声をあげて、ボクの膝に乗ってきた。おそらくアロハシャツ恐怖症なのだろう。かわいそうに。しかし最悪のタイミングだ。いよいよこの場から抜け出すタイミングを失ってしまった。

こうなればゲームに集中するしかない。一通り猫をなで回してから再びコントローラーを握り直すとテレビに向かった。

(えーと、確かここの選択肢は前はCを選んだからAにしよう)

「C」

「え…」

振り返るとBくんのお父さんがこちらを見据えている。なぜか分からないけど井上陽水に似てるなと思った。

「C」

「あ、はい」

この瞬間ボクはコントローラーを操作するコントローラーと化した。

「A」

「はい…」

「C」

「はい……」

はやく帰りたいという気持ちが最高潮に達したとき、幸いにもBくんが戻ってきた。

Bくんのお父さんにコントローラーコントローラーにされた時間は地獄のようだったけれど、不思議なことに新しいエンディングを見られて、結果としてその日のうちにピンクのしおりをゲットできた。