ふた口目
ひと口めはおいしい!と感じるのに、ふた口め以降徐々に飽きがきて、最後のひと口を食べる頃にはうんざりげんなり...となってしまう食べ物がある。傾向として味が単調であったり、食感に変化のないものがそれに当てはまりやすい。
たとえばガリガリ君。真夏のけだるい昼下がりに公園のベンチでひと齧りすれば、たちまち爽やかな風が吹いてシャツの隙間を通り抜ける。パッケージのガリガリ君がこちらに投げかける笑顔もフレッシュで好印象だ。きっと学校では、美化委員のメンバーとして校内の美化に勤しんでいるんだろう。募金活動を進んで行い、捨て猫にミルクをやり、おばあちゃんの手を引いて横断歩道を渡る彼のことを皆は敬意を表して「日本のガンジー」「平成の二宮金次郎」と呼んではばからない。
しかしふた口、三口と食べ進めるにしたがってどうにも飽きがくる。やっと半分も食べてまもなく底の固い部分に辿り着くかという段階になれば、さっきまで近所でも評判の好青年だったガリガリ君がもはや、町外れの貧乏長屋に住む糞ガキにしか見えない。どう見ても友達の家の冷蔵庫を勝手に開けては盗み食いする顔をしている。ここ最近頻発している踏切の置き石事件もコイツの仕業だともっぱらの噂である。
そうしてなんとか食べきった頃には、達成感よりも疲労感をからだ全体で感じることになる。最初のひと口で瞬間的に引っ込んだ汗が再び噴き出して、疲れたときに特有のイヤな粘り気のある汗が代わりに全身を覆う。ひとりベンチに座り込み、セミの罵声を浴びながら、レ・ミゼラブルな感情に支配される。
ミクロ経済学でいうところの限界効用逓減の法則を説明するのによく使われるビールのたとえと構造は同じだけれど、効用を失ってからさらに自分が持っている財を奪われるところまで行ってしまうのだから恐ろしい。
このあいだ台湾混ぜそばというものを初めて食べたのだけれど、これもその類いの食べ物だった。台湾混ぜそばといえば、ニラとネギが麺の上に盛られていて、その上に辛い肉みそ、さらに生卵が乗っかっているあれである。
その日は友人のSと飲みにいく予定で、少し腹になにか入れておこうと、適当な店を探しながら歩いていると台湾混ぜそばの看板が目に入った。ずっと気になっていたのにどうにもタイミングが合わず、実際に店に入るのはそのときが初めてだったからなんだかドキドキしてしまった。緊張を悟られまいと澱みない手つきで食券を買う。それを店員さんに渡してしばらく待つと、やってきた器の中には想像通りの赤、黄、緑。あわてんぼうのサンタクロースが見たらクリスマスが来たと勘違いして慌て出すだろう色彩できれいに盛られていた。しかしボクはサンタクロースではないから、慌てず具材を混ぜ合わせて全体を馴染ませるとひと口めをすすり込んだ。
ずずっ
(なるほど、思った通りだけどなかなかおいしいじゃない)
ずずっ
(でも思ったより辛い。肉みそが見た目より多い)
ずずっ
(旨味がちょっと足りない感じがするなあ。そして肉みそが無駄に多い)
ずずっ
(ちょっとこれはあんまりおいしくないかもしれない...)
ずずっ
(辛い...おいしくない...生のニラと卵黄の粘り気がツライ...肉みそが邪魔...)
ずずっ
(なんでこれを食べなきゃいけないんだろう...腹が立ってきた)
ずずっ
(麺は食べた。肉みそは仕方ない...申し訳ないけど残して出よう...)
と思って席を立とうとすると、目の前に一本の腕が差し出され次の瞬間、肉みそが大量に残る器の中に茶碗一杯分の白飯が湯気を立てていた。あっけにとられながらも視線を上に移す。直前までご飯が入っていたであろう椀を握る腕を辿り、顔を見ると案の定店員さんだった。
「大丈夫、ご飯はサービスですよ!」
唖然とした表情で、じっと顔を見つめるボクに対して、店員さんは爽やかな笑顔でそう答えてくれた。
ご飯と一緒に肉みそをかっこむとそのまま家に帰った。Sとの予定はすっぽかした。